フロローの狂気に迫る!ノートルダムの鐘
こんにちは、もかです。
ノートルダムの鐘を観劇しました。
リハーサル見学会のレポは他の皆さんにお任せし、
本編のほうをお伝えしようと思います。
【本日のキャスト】
カジモド 飯田達郎
フロロー 野中万寿夫
エスメラルダ 松山育恵
フィーバス 清水大星
クロパン 百々義則
いつもカジモドの感想ばかりレポしていますが、
今回はフロローに注目してレポします!
まず、一言言わせてください!
野中フロローめっちゃ良いです!
野中フロローは名古屋公演初日から出演され、途中で村さんに交代されましたが、先週から再び戻ってきてくれました!
交代期間を経て、さらに狂気が強くなったような感じがします。
カジモドが聖アフロディージアスの名前を思い出せないシーンで、フロローがベンチを叩くところ。
叩くときの音が大きくなっていましたし、叩くスピードも以前よりも速くなって怖っっ!ってなりました。
また、他のシーンでも、カジモドの口から顎の付近をつまむような仕草も見られ、こちらも怖っっ!!って感じです。
前回、前々回の観劇を通して、横浜公演と比べて、名古屋の方が怒りの沸点が低くなったなと感じていましたが、今回はさらに怒り方がグレードアップしていました。
とにかく怖い、恐い、コワイ!
エスメラルダを牢屋に入れ、エスメラルダを自分のものにする代わりにフィーバスを助けてやると迫るシーン。エスメラルダにじりじりと迫ります。恐怖で怯え、腰が抜けるエスメラルダに覆いかぶさるように迫るフロローの狂気、やばいです!エスメラルダの悲鳴もいつにもまして高音で響きまくってました。
フロローの恐ろしいところは、自分は正しいと100%思い込んでいるところです。
エスメラルダに心惹かれているのも「あの邪悪な魔女が私を惑わす」からこんなことになると自分を肯定します。
エスメラルダが死んだあとフロローがカジモドに向かって歌うフレーズ
ついに魔女が死んで、恐ろしい呪いの消えた
元通り仲良く暮らしてゆけるだろう
この聖域で サンクチュアリー
自分がやったことは何一つ悪くない、魔女(エスメラルダ)のせいだとカジモドに承認してもらいたいという気持ちの現れですね。
【考察】フロローはなぜ狂人になってしまったのか?
フロローは、孤児の兄弟としてデュパン神父に拾われ、幼いころから孤児の兄弟の兄として我慢に我慢を重ねて自我を殺して生きてきたのだと思います。
愛されたいという欲求が強く、愛されたいがために弟を心から愛すが、弟はジプシー女に取られ、去っていく。愛してくれる親もいない。
フロローにとっては寂しさの連続。
神に救いを求める他に、自分の思いをコントロールするすべがなかったのだと思います。
マズローの欲求5段階説とフロロー
心理学者マズローの欲求5段階説はご存知ですか?
今回は欲求5段階説に当てはめてフロローのことを考えてみましょう。
ちなみに、欲求5段階説をざっくり簡単に言うと下位の欲求が満たされないと上位の欲求を満たせないという考え方です。
①生理的欲求
これはおそらくデュパン神父が最低限の食事や睡眠を確保してくれていたでしょう。
大人になってからは食事など生理的欲求は聖職者という職についていますし自分で達成することができています。
②安全欲求
フロローにとっての安全、安心は「聖域」「サンクチュアリー」「我が家」というセリフが何度も劇中に出てきますね。
ノートルダム大聖堂で暮らすことでフロローの安全欲求が満たされます。
ここまでの生理的欲求、安全欲求は満たされていると考えてよいと思います。
問題はここからです。
③社会的欲求
これは社会の一員として認められたい、愛されたいという欲求のことを指します。
④承認欲求
他者から尊敬されたい、認められたいという欲求です。
フロローは③の社会的欲求が満たされていなのではないかと私は考えます。
フロローはデュパン神父から神の教えを受けながら育ち、他者との社会的な交流が不十分だったのではないでしょうか。
もちろん、大助祭として人々に説教をしたり、ノートルダム警備隊に指示を出したり、ルイ11世のもとに出かけたりと、劇中でも他者との関わりは描かれています。
ただ、本当に心を許せる家族、友達という関係の人間が周りにおらず、孤独を感じていたと思います。これは、聖職者としての位が上がるのに比例してフロローの孤独はさらに強くなったと思います。普通の人からどんどん遠い存在になりますしね。
④承認欲求は、「フロローは位を上げていく 誰より早く」「今や1番権力握る責任者」という歌詞からもわかるように、自分の位を上げることで人から承認されたい、尊敬されたいという欲求を満たすのです。
そして、カジモドを育て始めてからは、カジモドを思いどおりコントロールし、自分を敬わせることで承認欲求を満たそうとします。
カジモドを外に出さない理由は、怪物は人の目にさらしてはいけないという思いもありますが、カジモドを狭い世界に縛ることでコントロールしやすくしたいという思いもあったと思います。
さらに、フロローはエスメラルダを自分のものにすることで承認欲求を満たそうと画策します。だから、わざわざ自分の大好きなエスメラルダを逮捕し、牢屋に入れてから「お前を助けたい」などと言い放つ。
普通の人間なら、こんなことをしたら相手からどう思われるかは明白なはずです。心から愛してもらえるはずはないのに。
このようにフロローは、下位の社会的欲求の満たされなさを上位の承認欲求で満たそうとするから心のバランスが崩れ、人間的に狂っていったと私は考えます。
どんなに承認欲求を満たしても下位である社会的欲求は満たされないのです。
この物語の救われなさは、フロローの社会的な未熟さというのが1番の原因ではないかなと思います。
社会との希薄すぎる人間関係、そしてカジモドとの濃すぎる人間関係。
フロローに必要だったのは人としての普通な関わりだったのではないでしょうか。
まとめ
長々と持論を語りましたが、いかかでしたでしょうか?
今回、ノートルダムの鐘をまだ観たことがないという友人と観劇しました。
友人から「フロロー狂ってるわー!承認欲求デカすぎ!!笑」という感想を受けて、私もすごく考えさせられました。
フロローの人間性の気持ち悪さというのがどんどん強くなっていますので、今後ご観劇予定の方はぜひ注目してください。
もか